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being qua being

情報的な何かと政治的な何か

ちょっと変わってる人

おかしい人は変わってる人?

私はちょっと変わっている人みたいだ。

「かわってるね」とか「○○っぽいね」と言われることは日常茶飯事。

最初は気づかないが、だんだんと「ちょっと変わってる」ことに気づいてくるようだ。


何気なく言ったことがぶっとんでいるらしいが当然私は気づかない。

思ったことを言っているが自分の中では一貫しているからおかしいとは思っていない。

ちょっと変わっていると言われることには慣れてきたが、認めてはいない。

私はいたって真面目に言っているからだ(笑)


言葉足らずなのか、普通の会話ではその結論に至らないのか。

「変わっているから」何を言っても許されるということもないとは思う。

おかしい人と思われることは望んでないが、変わっているみたいだ。

なぜふつうの人と同じではないのか?

空気が読めないと言われたことはない。

不思議ちゃんと呼ばれたこともない。

仕事は至って普通に勤務している。

けど「変わってる人」なのだ。


自分で何が変わっているポイントになるのか考えてみた。


① 会話の中に冗談が多い

② 感じたことや思ったことを表現したいがうまくできない

③ いろんなことに興味を持っている


①については場を盛り上げたいという気持ちがどこかにあると思う。

自覚してないがなにか特徴的なことをいって注目されたいのかもしれない。

②についてはうまく伝えることができなくてもどかしいことがある。

感覚も他者と共有するというより独りよがりなところはあるかもしれない。

③についてはとにかく好奇心があるので、いろんなことを知りたがる。

何をやっているのかわからないが何かをやってる人とみられる。


こういったことが複合的になって「変わってる人」を形成しているのではないかと思う。

確かに、人より変わっているところはあると思う。

でも、自分だけが変わっている人だとは思わない。

普通の人は幻想だと思う

だれもが自分は普通だと思っている。

自分が社会で普通でないと生活しづらくなってしまうからだ。

変な趣味や性癖があることは「変わっている」ひとつの要素になる。

そんなことが他人に知られれれば普通ではないと思われる。

だから皆普通を装って生きている。

そういう自分が普通であって、そうでない人は「変わっている」のだ。

人を傷つけない限り「変わっている」ことはゆるされる

空気を読まないことが嫌われるのは、その場の普通を壊してしまうからだ。

それ自体はそれをもって悪いことであるとは言い切れない。

でも、空気を読まずに人を傷つけてしまったら、それは悪いことだ。

変わっている人がなんでも許されるわけではない。

そういうことが繰り返されれば人は離れていってしまうだろう。

だからそういうことは自覚して抑えないといけない。


ただ、中には病気で気持ちが抑えられない人もいる。

それは病気なのだからちゃんと治療しないといけないし、

まわりのひとも親身になって接していく必要はあるだろう。

皆が「変わってる」人なんだと思う

生きていると「許せない」と思ったり、「信じられない」と思ったりする人間と出会うこともある。

それを俗に「価値観の違い」と言ったりする。

すぐにその違いに気づくことができれば、違いをわかり合うこともできるかもしれない。

ずっと気づかずにある日気づき、それが決定的な点であると、大きな亀裂となる。


程度の差はあっても、自分以外の人の言動にはびっくりすることがある。

とつぜん甘えたり、突然物陰に隠れたり、笑いだしたり、怒り出したり。

普通の人だと思っていても、どんどんお互いのことを知り始めるとびっくりしたりする。

そんなことはよくあることだ。

皆が変わっていると思えばそれを受け入れるしかない。

「変わっている」を受け入れること

日本人なら当然守るべきルールも外国ではそうではなかったりする。

「変わっているか変わっていないかを判断するための何か」を共有していた場合理解できるが、

共有していないものは異質のものだから理解できない。

相手が持っているものが自分にとって異質であるときに「変わっている」と感じるのだ。


「私以外は馬鹿」とか「私が一番正しい」と思っている人は意外と多い。

変わっているものを受け入れることは不安だし、リスクが大きいのだ。

人間は安心できる場を探してしまうので、変わったものは避けたくなる。


だから、変わっていることを受け入れることを強要することはできない。

誰しも自分を基準に、自分の価値観にもとづいて生きる権利がある。


たぶんこれからも私は「変わっている人」と言われ続けるだろう。

それでも、人を傷つけない限り変わっていること、

そして他者の「変わっている部分」を理解しようとしたい。

違いが受け入れられた時に、私は他者とつながることができると思う。