being qua being

情報的な何かと政治的な何か

アメリカが中国に残した国際規範という置き土産

「アメリカという超大国は好き勝手覇権をふるっている」と見るのは一般的に現実主義の見方である。日本の農業を開放しろだとか、自動車に反ダンピング関税を掛けたり、日本に対しても好き勝手やってきた。そんな超大国に対して日本はほとんど言うことを聞いてきた。日本はアメリカの言うことを聞くほか無いのだ。こうした二国間関係はなにも日米関係だけではない。米中、米露、米メキシコ、どの国もそう大差ない。

中国は清朝時代のような世界の超大国の座を、立場を回復したいと考えているのは間違いない。毎日いたるところで「中国掘起」というフレーズを政府もメディアも連呼し、国民を鼓舞している。「中国には超大国となる資格がある。昔そうであったのは土地も人口もあるのだから」と言わんばかりだ。

流石に急激な膨張に各国が警戒感を覚え始めると「和平掘起」を唱え始めた。一見、「中国は対立を望まない」というメッセージに読めるが、これは完全にアメリカに向けたメッセージだ。
周辺国との摩擦に関しては、非公開の二カ国間交渉という自らの力の優位性を最大限に活かす方法を押し付け、対話するスタンスはあると主張し、応じない国家こそ対話を拒んでいると主張し、その間にも一方的行為を取り続ける。
軍事力、経済力共に中国に遠く及ばない東南アジア諸国が圧倒的不利となる二カ国間交渉には応じられないことを知っているのだ。政治的にも宗教的にも一枚岩とはいかないASEAN加盟国を少しずつ削り取って中国有利な交渉を行ない、親中政権を作りたい。

そこで、中国の目の上のたんこぶとなる国家が日本なのである。強力な日米同盟を前にしてはさすがの中国も対抗できない。どうにかして日米の間に不信を根付かせ日本を弱らせたい。曲がりなりにも世界トップ10に入る軍事費を持ち、当分の間は世界第3位の経済大国である日本さえ弱らせれば、いずれアメリカも世界の警察から手を引くようになると中国の世界政治におけるコントロール力は格段に増す。


そんな「中国夢」を持っている共産党にとっては、日本はよく吠える犬のように写っている。戦争に負け、一時は世界中で称賛されたが、90年台以降は経済的にも政治的にも存在感を低下させ、ついに2010年には中国の圧倒的な経済成長を前にしてあっという間に抜かしたとは言え、日本に対しては日本人が考える以上のライバル心を燃やしている。

中国が圧倒的な力を持ってから、南沙諸島のように占拠しようと思っていた尖閣を問題にし、中国国民や日本国民の知るところとなり、その騒ぎのせいで日米安保条約の再確認までされ、さらに安倍政権というおそらく長期政権になるであろう政治体制を整え、一歩も譲らないという姿勢をむき出しにしている日本は中国から見てそうとう邪魔な存在だ。

「中国は尊敬されるべき国になったはずなのに、馬鹿にされてる。ナメられてる」最近の中国国内の主張はもっぱらこんな感じだ。こうした思考が一般的に行われているのは、国際政治を未だにパワーゲームとして捉えているからだ。このような現実主義の考え方は冷静時代の遺物だ。
「核兵器を持つ国は脅しをかけることができるので交渉を有利に進められる」
「経済力のある国は、その市場や動労資源を盾に交渉を有利に進められる」
確かにアメリカを見ているとそのように見えるし、こうした行為を通して絶対的な力を示す事ができる。

しかしながら、アメリカは一枚上手だった。世界経済の自由化や核軍縮は、最も力があるはずのアメリカが主導的に行なってきた。本来なら国内の産業を守り、他国の軍事力を削ぐことが絶対優位の状況を生み出すはずなのにそうしなかった。こうした規範はいつの間にか、国際社会の共通規範となった。全人類のために必要な規範として受け入れられると、反対する国は国際社会から非難されるというシステムだ。
実質的にアメリカ主導で作られたがゆえに影響力は持っている。しかし国際規範なのだ。もしアメリカが圧倒的な覇権国で無くなったとしても、自由や人権といった概念を持たない国家が力を持つことを防ぐ制度だ。たとえGDPで中国が世界第一位となったとしても、全世界を敵に回すことはできない。しかしアメリカはもし中国が国際規範に従わなければ、国際社会の名を借りて中国を非難することができる。アメリカは国際社会という置き土産を残していくのだ。