being qua being

情報的な何かと政治的な何か

高知県民にとっての坂本龍馬−龍馬の志とは?


最近はやりの坂本龍馬。私もNHKの大河ドラマの「龍馬伝」を毎週見てる。やっぱり福山雅治はカッコいい。日本人男性であれ以上魅力的な人はいないと思う。キムタクも良いけど、41歳になった福山雅治もようやく年内に小西真奈美と入籍するらしい(週刊誌談)

中学生の頃クラスの友達が司馬遼太郎の『竜馬が如く』を愛読していて、「とても面白いから読んでみなよ。」と言われたことを思い出す。今思うと、彼はその時既に大きな志をもっていたのかもしれないなーと。(その彼は今、法律の勉強をしてるのだそう。変に都会に染まってたら嫌だ)話は本題に戻って、高知には「高知県立坂本龍馬記念館」なる博物館がある。

しかし実は、高知の人はあまり坂本龍馬に興味がないらしい。この博物館を訪れる高知県民はわずか5パーセントだという。というより『また龍馬か。』というような呆れに似たような気持ちをいだいているのだという。確かに龍馬と時代を同じくして生きた土佐勤労党の党首、武市半平太なんかも土佐の偉人であるから、なにも龍馬だけ、小説になったおかげで好意的に取り上げられるのは納得がいかないのかもしれない。

それでも高知人の心のなかにはやはり坂本龍馬が生きているらしくて、自分のことを龍馬だと思っている人もかなり居るという。



実はこの博物館。歴史系の博物館では珍しく入場者数が開館以来年平均14万人という大変高い数字を出してきている。ふつうの歴史系の博物館は年4,5万人程度らしい。ただ今年の龍馬伝ブームは本当に凄いものだったらしく、既に30万人を超える人がこの博物館を訪れているという。しかも今年は来場者の60%が高知県民だという。

なんという心変わり。なんとミーハーな高知県民なのだろう。

いやこれは失言だ。彼らは「ミーハー」ではない。高知県民にとって龍馬は身近な存在であるがゆえによく知らない存在でもある。龍馬の存在はあまりに大きく、有名であるがゆえに詳しく知ろうと思う人が少なかった。そんな高知県民にとっては再び龍馬を勉強するいいチャンスとなったのかもしれない。

しかし龍馬って何が凄いのだろう。なんで孫正義は竜馬かぶれなのだろう。と思う人も少なくないはずだ。

何をやったかというのは、『龍馬伝』を見るか、司馬遼太郎さんの『竜馬が如く』を読むか、それこそ正しい歴史を知りたいなら坂本龍馬記念館に行ってもらうとして、とりあえず、「龍馬の考え方」というのを私なりに解釈してみた。ビジネスに使えるように一行で言うならこんな感じになるだろう。(龍馬ファンのみなさん勝手に解釈してごめんなさい)

『私の志が私を捨てさせ、志を達成するために仕事をする』

志が龍馬をそうさせるのである。こういう国になって欲しい。こういう国にしたい。だから私は今日これをしなければならない。というように龍馬が目指す目標に向かって、日々近づくための行為をし続けることが彼にとっては自然なことなのだ。海援隊の規則である5則からなる『海援隊約規』にもストレートに彼の考え方が書かれている。

その1『身分を捨てて自らの決心で入隊すること』
その2『すべての権限は隊長にあり、時に隊士の生死をも預かる』
その3『隊士は道理をわきまえる。最も慎むべきは独断、過激、妨害である』
その4『学問を修めること。得意分野をもって励むこと』
その5『自分たちで稼ぎ、仲間に分配すること』

自由と平等、道理、学問の重要性、長の責任がこの5か条にまとめられている。私はこの5か条を自分が坂本龍馬になったつもりで守りながら行動していくことが、今後の日本を切り開くひとつの助けになると思っている。強い意志を持って仲間と志の達成のために身を切って勉学したり、行動したりすることが一人ひとりに求められているのが今の日本である。

結局、龍馬が死んでから龍馬の思い描いた国になったのかは分からないが、今日本が第2の幕末の時代にあることは間違いないだろう。あのときと同じように日本を守るために全国で同じ志を抱いた若者達が力を合わせて行かなくてはならない。守るというのは相手を攻撃したり脅すものではない。志あれば武器に頼ること無く、外国と対等に話し合い共感を得ることはできる。それが日本のすべき外交であり、日本を世界にアピールする唯一の方法であると思うのだ。