being qua being

情報的な何かと政治的な何か

Ⅰ−中国の都市をお風呂に例えて考えてみた

お風呂が中国の都市だとしたらその容器に入れられるはずのお湯は溢れ始めているんじゃないかとしょうもないことを思いついた。

お湯というのは人なんだけど、溢れたらまた戻っていくのかと言ったらそうではなくて下水に流されて行く。今の中国の都市構造を考えると出稼ぎ労働者は下水に流されてるのではないかと考えた。


25年前、訒小平先富論を打ち出し「先に豊かになったものが貧しいものを助けなさい」という掛け声の下、市場経済が急速に浸透していったが、その富は低賃金で働かされる農民工や土地の強制収用から生み出されている。そして経済特区を設け、外資からお金と技術を中国内に溜め込むことで、国内から富を集め、国外からも富を集めたことで社会主義資本経済は見事に成功した。

89年の天安門事件はあったものの、前述の経済特区制度が項を奏し、裕福になり、いつの間にか中国国民は民主化に拘る必要は無くなってしまった。むしろここまで成長できたのは手厚い政府の援助のおかげだからだ。そして、今でもそうであるし、これから何十年も共産党の経済支配は変わらない。


中国では農村から貧しい人が農民工として都市でお金を稼ぐことで経済が廻っている。しかし、こんなにも速い経済発展の中でインフレが起こり、オートメーションによって賃金は上がり、労働力需要は下がるなかで出稼ぎ労働者がどれだけ都市に溢れだすのだろうか。

お風呂で考えるなら日本の経済はユニットバスが満杯になっていて、そこのゴム栓が劣化して少しづつ漏れ出してる状態で、中国は旅館にある大浴場にどばどば掛流しでお湯を入れてるんだけど、あと少しで満杯という感じ。溢れたらそのお湯は捨てられるのだけど、もし、そのお湯が脱衣所に流れ込んできたら厄介な事になる。


いづれ余った農民工を農村に帰さないといけない時がくる。強制的に農村に帰すと言ったら昔も同じようなことを中国政府はやっているんだけど…


教科書通りに考えると、経済的に満たされた国民が次に政府に求めるのは人権、自由権社会権というふうに教わる。しかし政府に頼って生活していると言っても過言ではない都市部の裕福な住民が、デモを起こすことはまずありえない。自分の地位を捨ててまでそんなことはできないでしょ。それなりに自由な生活できてるわけだから。

上海での反日デモも一部のナショナリストと野次馬で構成されていた集団で、経済的に強い力を持ってたり権力にある人が後ろ盾してるわけじゃない。反日を唱えるだけの一部の中国右翼に過ぎない。そこら辺は日本と同じだ。

政府はその人達を使って「小日本!」「戦争の反省、謝罪をしろ!」と言わせておく。そうすれば、国内的に弱いように見せかけることができる。国内に弱ければ国外には強い態度が取れるからだ。「うちの国民が日本のことについてはウルサイんですよ。だから日本政府が譲歩して下さい」と言える。

それに中国というのは上手く出来ているもんで、貧しい農民の怒りの矛先が直接中国共産党に登ってこないようになっている。地方政府の役人が賄賂で捕まってくれればその地方に住む人が満足する。地方役人が捕まることで国の指導者を直接批判できないようになっている。それとも勝手に賄賂で捕まってくれてるのか。ロッキード事件陰謀説みないに裏で誰かが手をこまねいているのかどうかは不明だけど。


そろそろ農民工が強制帰還される日も近いから、またまた偉いことになるだろうな。